可愛らしい見た目からは想像できない高性能なアカパックン。芸能人も愛用している大ヒット商品だ。このアカパックン、作っているのは主に工場のある町に住む障がい者と高齢者の女性たち。地域雇用で地域を活性化したい。その強い信念のもと日々奔走している恵川商事社長、安藤孝平の描く未来に、叩き上げブランディングプロデューサー安藤竜二が迫る。

安藤竜二 (以下安藤) まずは創業の歴史から教えていただけますか。

安藤孝平(以下安藤孝) 昭和33年11月、当時28歳の父が名古屋市東区の赤塚で創業しました。父は昭和5年に岐阜県の山間いの町、上矢作町(現:恵那市)で生まれ、子どもの頃は町を流れる矢作川で鮎などを釣っていたそうです。そして大学卒業後、名古屋工業大学で講師をしていました。そのご縁もあって、父が恵川商事を創業する際には名古屋工業大学の教授や仲間に出資をしていただきました。いろいろな人に恵まれ、川のようにどんどん大きくなり、そしてみんなに恩返しをしたいという思いで『恵川商事』と名付けたそうです。
        
安藤 仲間に恵まれていたのですね。どうして先代は講師から会社を創業されたのですか。

安藤孝 母方の実家が大正15年創業という歴史ある石鹸雑貨の卸問屋でして、そこで丁稚をするために講師を辞めたそうです。そこで父が多くの新規顧客を獲得したことが評価され、お客様を引き継ぎつつ暖簾分けというかたちで、石鹸雑貨の卸問屋として恵川商事を創業しました。当時は、地域の小さな薬局さんにメーカーから仕入れた日用雑貨を卸すのが主な仕事だったそうです。

安藤 経営は順調だったのですか。

安藤孝 最初は赤字だったそうですが、名古屋工業大学の講師をしていたことで、様々な大企業に教え子がいて、そのご縁から大企業の売店に日用雑貨を卸すようになりました。さらに、軍手の消費量が多いことに気付き、現場で消費する消耗品も売るようになって、どんどん売り上げを伸ばしていったそうです。そして、あるご縁で出光さんの御曹司と出会い、全国のガソリンスタンドにタオルを卸す仕事も始まり、売上は右肩上がりでした。

安藤 石鹸雑貨から産業雑貨へシフトして成功したのですね。安藤さんは何を任されていたのですか。

安藤孝 私は大学を卒業してから2年半ほど、百貨店へタオルを卸す問屋で働き、その後1年間の中小企業大学校後継者養成コースを経て、1992年に恵川商事に入社しました。そして、その年から弊社はシルバー産業卸業へとシフトしていきました。きっかけは、円高の影響で半減した売上の対策を考えていた時、会社の隣に老人ホームが建ったことです。そこで、まだ駆け出しの営業マンだった私が新規開拓を任され、毎日老人ホームへ営業に行きました。当時は老人ホームの建設ラッシュだったこともあり、担当者の方々と仲良くなって他の施設をご紹介していただくことが増え、半減した業績も順調に戻っていきました。
 
安藤 素晴らしいですね。その後も業績は右肩上がりだったのですか。

安藤孝 私が30歳になる5年ほどは良かったのですが、メーカーさんが問屋を飛ばして直接老人ホームへ卸すようになったことで値崩れがおき、大きな打撃を受けました。さらに追い打ちをかけるように、大手の通販会社が短納期で対抗し参入してきました。その後、価格競争でも勝てなくなりました。また、もうひとつの主力であるタオルも、国産の2分の1という低価格の中国製を輸入して攻勢に出ようと思ったのですが、セルフのガソリンスタンドが思った以上に普及したことでタオル需要が減り、在庫を抱える一方になってしまいました。老人ホームもタオルも売り上げが落ち、どうしようと行き詰まる中、ずっとフラッグ商品が欲しい思いと、父とは違う自分ならではの商品を生み出したいという強い気持ちから、何かないかと探していました。