1998年(平成10年)の最盛期には1兆9千億円規模であった呉服市場も、2013年(平成25年)には、3千億円規模にまで減少。生活スタイルの変化や、リーマンショック、業界大手の会社の相次ぐ倒産など、厳しい状況に立たされている呉服業界であるが、あるアンケートによると、9割の女性が機会があれば着物を着たいと思っている。ただ、着る場所が無い、着物を持っていないなどの理由で、着る機会を逸しているだけでないか、と株式会社たちばなの代表取締役社長・松本亮治は考えた。気軽に楽しんでもらうこと、着物を着る機会を創出することが大切であると、ネットレンタル事業を全国へ発信することを決意。『着物365』ブランドを立ち上げ、レンタルサイト『着物レンタル365』とお手入れサイト『着物お手入れ365』をオープンさせた。その想いに、叩き上げブランディングプロデューサーの安藤竜二が迫った。

安藤竜二(以下安藤) たちばなさんの歴史について教えてください。

松本亮治(以下松本) 1954年(昭和29年)、祖父が長野県鬼無里村(現:長野市鬼無里)で松屋洋品店を創業したのが始まりです。創業の精神の原点である『人の役に立つこと』を考え働いていたため、商いは上々であったそうです。その後、父が洋品店に入社。店舗の改装や、洋品店を会社組織化し、売上を3倍ほどに伸ばしました。当時呉服も扱っており、呉服であれば長野で勝負をしたいと考え、1979年(昭和54年)長野市に株式会社たちばなを設立しました。2013年(平成24年)には創業60年を迎え、長野県、新潟県、山形県にたちばな12店舗、フォトスタジオシャレニー8店舗を構えています。

安藤 松本さんが入社されたのはいつでしょうか。

松本 私が入社したのは1998年(平成10年)、新入社員として入社、営業からスタートしました。当時は、年間売上が41億円に達するなど、売上のピークを迎えておりました。ただその年を境に売上が年々減少していきます。私自身も店舗に配属されていたのですが、路面店ということもあり、待っていてもお客様は来ません。そのため訪問や紹介での営業をしていたのですが、この販売の仕組みと時代との矛盾を徐々に感じるようになりました。どうやったらお客様が来てくれるのか、たちばなの強みは何か、必死で考えました。そこでお客様がいるところに出店しようと、ショッピングモール内に出店しました。さらに、フォトスタジオも新たに開設したのです。

安藤 今まで呉服を中心に販売していた、たちばなさんの転換期となるわけですね。

松本 そうなんです。2002年(平成14年)、たちばなは大きく変わりました。まず経営の機軸を「きもの文化伝承力」「アニバーサリー支援力」「新規開拓力」「商品・企画力」「人財育成力」「プロの技術力」という6本の矢を強くしていくことで、地域に必要とされる会社であり続けようと決めました。もともとフォトスタジオは呉服を扱うたちばなにとって、ライバルでした。その場で着物を借りて写真を撮ってしまうのでは、着物は売れませんからね。ただ、たちばなの原点は「着物ファンを増やしたい」「家族の幸せづくりを応援したい」ことにあり、それならばレンタルでもフォトスタジオでも実現できるのではないかと考えました。呉服屋である強みを活かした衣装力のあるフォトスタジオ『シャレニー』の誕生です。

安藤 着物を売るだけではなく、着物の「こと」を売ることも考えられたんですね。フォトスタジオを始めて何か変わったことはありますか。

松本 着物を売るという商売から写真を売るという商売のちがいに苦労しました。しかしあるとき、着物を購入いただいている顧客であったお嫁さんとお祖母さんがお孫さんを連れてスタジオに写真を撮りに来てくれたのです。親子三世代でのお付き合いが始まるようになりました。フォトスタジオを通じて、新しい世代のお客様が足を運んでくれるようになったんです。

安藤 家族の幸せづくりを応援したい、というたちばなさんの想いが1つの形になりました。着付け教室や、様々な企画も行っているということですが。

松本 着物を着ていただく機会を増やすために、地元のフリーペーパーとの合同企画で「和み塾」というのを開催しています。この会では、会員さんが着物を着て毎月集まり、毎回様々なテーマを学ぶことで和の文化に触れる機会を作っています。また、2ヶ月に1度、各店がお客様と一緒に着物で出かける機会を作るため、「着物を楽しむ会」という会を全店で実施しています。11月15日のきものの日には、お宮参りや七五三・成人式・結婚式・お葬式などの人生の通過儀礼をモチーフに、着物を中心とした衣装を着た社員とお客様の総勢100名で「きものパレード」を行っています。さらに、たちばなでは長野県・新潟県を中心に11の着付け教室を運営しており、月間600名以上の方が受講し、着物を楽しんでいます。