「日本一白色が似合う解体業者でありたい」。汚れたら毎日洗えばいい。ユニフォーム、トラックなどをあえて汚れが目立つ白色で統一。当たり前のことを当たり前に行うことで、信頼を積み重ねてきた株式会社フィット。建物の廃材を利用して思い出となるものを作る「思い出プロジェクト」を創設し、思い出づくりプロデューサーとして、解体業界に新たな風を送り込む、中崎昌宏にサムライ日本プロジェクトの安藤竜二が迫った。

安藤竜二(以下安藤) 中崎さんがフィットを設立された経緯は。

中崎昌宏(以下中崎) フィットを設立するまでの間、実はいくつかの職を渡り歩いたんです。最初に就いた職業は歯科技工士。学生時代柔道部に所属していて、まわりが、警察官、刑務官と進路を決めていく中、みんなとは違うかっこいい仕事に就きたいなと思い、歯科技工士になったんです。当時は入れ歯ばかりを作っていましたね。ただ、技工士としていくら良いものを作っても、患者さんにはまらなかったら意味がないんです。歯医者に行き、ドクターや患者さんと接しながら、作ったものを直している内に、直接お客様と話ができる営業職に憧れを抱くようになったんです。それで、次は建築資材の販売会社に転職しました。

安藤 歯科技工士から建築の世界へと足を踏み入れたわけですね。

中崎 内装資材、外壁資材など、なんでも扱っている商社だったんですが、やっていく内に、今度は売りっぱなしって面白くないって思うようになったんです。自分の売ったものが、最終的にどういった形になるのか。この部品、材料がどう使われていくのか、最後まで見られないことに物足りなさを感じ、次は販売だけではなく、施工まで行う、販売施工代理店へと転職しました。

安藤 販売施工代理店ではどんなことを学ばれたんですか。

中崎 販売施工代理店では営業を担当していました。そこで、今のフィット・プラスの代表でもある永田と出会うんです。当時は愛知県で売上が5番目の販売施工代理店でしたが、それを二人で「日本一にしよう」って意気投合して。それまで、働いていても目標がなかったんですが、永田と出会ってから変わりました。「まずは、営業は格好から入らないと。格好が1番になればやっていることも1番になるだろう」なんて言いながら、二人でスーツを新調したのを覚えています。とにかく、愛知県で行ったことがない建築屋はないぐらいに営業をし、ついに中部地区で1番の代理店にまでなりました。しかし、徐々に景気も後退し、業界全体が価格競争の波に飲まれていく中で、売上が1番になっても会社の利益が伴ってこない状態に。「日本一」という目標もかすれていきました。その行き詰まったときに、感じたんですね。これからは、建てるのではなく、壊す時代が来るんだって。ちょうど世の中で、リサイクルという言葉が盛んに言われているときでもありました。

安藤 今まで作ってきたからこそ、次の時代がわかった。ここで、ようやく解体業へとたどり着くわけですね。

中崎 解体業を学ぼうと、地元の大手解体業者に転職しました。そこでは驚きの連続でした。今は変わりましたが、自分が入社した当時は、規律がほとんどなかったんです。朝の朝礼もなく、着ている服はバラバラでした。壊すから汚くなる、汚くなるから、汚れの目立たない服を着る。それがここでは当たり前だったのですが、異業種から入ってきた自分には納得が出来ませんでした。そこで、自分が理想とする解体業者を作ってみようと思い、独立することにしました。